ゲーフラがあるスタンドを目指した話

今日はすげーたくさんニュースがあるのですが、
何をさて置いてもこの話。



大本営から、ゲーフラ&応援ボード自慢大会を開催するとのアナウンス。
先日あっしがしれっとツイートした件がなんと実現。
16日から3日連続開催。

このニュース、あっしの応援仲間たちは隔世の念を抱きながら観ていると思います。
特に9ユニカメラマンあたりは。


以下、クソ長いです。時間がある方のみお付き合いください。



偉ぶるつもりも資格もありませんが、あっしやあっしの応援仲間どもは、
西武ドームのゲーフラの先駆者であると自負してますよ。 勝手に。

応援ボード自体は大昔から西武ドームで掲げられていました。
もう80年代前半にはあったと思います。
一方、今のゲーフラのように応援に布を使う人はほとんど居ませんでした。
少なくともあっしが知るかぎりでは。


あっしが初めて応援で布を使ったのは2002年だったと思います。
ボードを持って地方球場に行くのはかさばって大変だったので、
試験的に布で作ってみたのが始まりでした。
当時はまだゲーフラではなく、布の上・両端を持って下げる形で使っていました。

2003年ごろには、あっしも応援仲間もほぼボードから布に移行していたと思います。
ゲーフラが作られ始めたのもこの頃で、
遠征に行く9ユニに中島くん幕を貸したらゲーフラに改造されて戻って来て
すげー驚いた記憶があります。


この頃から、我々の幕応援は大きな問題に直面しました。
ホーム球場・西武ドームの応援規制です。

当時は今のように明確なサイズ規制がアナウンスされておらず、
「作って出したら係員にダメ出しされる」 を繰り返していました。
まあ我々の応援幕も競い合うように大型化していきましたので、
規制を受けるようになったのはある意味当然ではありました。

スッタモンダの結果、係員が示したサイズ基準は 「新聞紙を広げたサイズまで」。
つまりタテが54.6cm、ヨコが81.2cm。
しかもホームページなどでは公開されない、裏ルールでした。
このサイズではとても選手には見えない・・・
厳しい規制に愕然としながら、ひとつの幕をいくつにも分割するなどの工夫で対応しました。

一方で、 「そんな糞ルールは無視してデカいの作って出しちまえ派」 な仲間もいました。
今も応援仲間であるカメラマンは当時その筆頭でした。
2004年の潮崎の引退試合で、カメラマンは規制オーバーどころじゃない
超大型・横断幕を作って強行掲揚しました。
当然係員が飛んでくるわけです。
もう必死にお願いして (いやムチャクチャですが)、掲揚させてもらいました。
あっしはリアル土下座した記憶があります。


当時は 「納得いかないクソ規制を押し付ける、ムカつく係員」 と思っていましたが、
今思えば係員の方には随分お目こぼしを頂いたなあと思っています。
規制は規制として厳しく守らせる一方で、状況を見て都度ご判断頂けるケースが
相当多かったように思います。
西武ドームの警備は待ち違いなく世界一ですぜ。

ある年の西武ドームシーズン最終試合で、
ずっと我々との交渉に応じてくれていた(でも厳しかった!)係員の方が、
「今日で係員を引退します」と挨拶に来てくれました。
本当に嬉しくて嬉しくて、当然に悲しくて、感激した覚えがあります。

そんな経緯もあり、あっしも今は 「ルールは絶対に厳密に守らなきゃいかん派」です。


実は 「新聞紙を広げたサイズまで」 ルールも出たり引っ込んだりしまして、
いよいよこれでは困ると思ったあっしは、何を思ったか提案書を書きました。
たしか2005年開幕直後のことだったと想います。

幕のサイズ上限 150cm×100cm という、
当時の新聞紙ルールから考えるとアホのようにでかい設定で、
西武ドーム応援規制の素案を提案しました。
これだけ大きく出せば、削られてもそれなりのサイズになるだろうと思ったのです。

この提案書を、懇意にしている方から球団の方に渡して頂きました。


数週間後に球団から初めて公式に応援ルールのアナウンスがなされたのですが、
これを見たあっしは鼻の穴から目が飛び出るほど驚きました。
あっしが出した 150cm×100cm というサイズがそのまま採用されていたのです。
(現在は 150cm×120cm に拡大されています)

今考えれば、何ともおおらかな時代だったんだなあと思います。
あるいはあっしの提案なんか関係なく、球団の方が偶然同じプランを出されたのかもしれません。


なお同じ頃、ある男が 「ライオンズの応援に手旗を使う」 というアイデアを
浸透させるべく悪戦苦闘しておりました。
これは皆様ご存知のようにやがて大成功に至るのですが、
賛同していたあっしは、提案書に 「旗のサイズは70cm四方まで」 とも書きました。
これもその時そのまま採用?されており、今日に至ります

# フラッグを浸透させる話は、いつか本人が語る時が来るでしょうから
# あっしは詳細を語りません。本人はこの記事を読んでると思いますぜ。
# そろそろ語られるべき歴史だと思いますがどんなもんでしょうか。


応援ボードやゲーフラが急激に増えたのは、2009年後半戦あたりからだったと思います。
この頃になるとゲーフラがゲーフラを呼び、どんどん増えていきました。
同時にレベルの高いものがどんどん作られ、古臭いあっしのゲーフラは見劣るようになりました。
この敗北感、最高ですぜ!!


以上が 「64ユニの視点から見たライオンズ ゲーフラ史」です。

いや俺はもっと早くからやっていた、俺はこんなことをやっていた、という方が
いらっしゃるかもしれません。 それはそれで事実だと思います。
色々な方がライオンズの応援を変えるために色々なことをやっていました。
これはその中の、ひとつの視点に過ぎません。

またゲーフラ応援自体を不快に思っている方がいらっしゃるかもしれません。
それについては、お詫びするしかないと思っています。
あっしは、自分が良いと思った方向に向かうよう活動したに過ぎません。


これだけ浸透したゲーフラですが、
掲揚マナーが悪くなったり、誹謗中傷ゲーフラが出るようになれば
また厳しい規制に晒される時代がくるかもしれません。
今の我々の応援が、明日のライオンズ応援の礎になるんだ、という自覚は
どこかに持っているべきなのかもしれませんぞ。



えー、くどく書きましたが、そんな経緯もあって
「球団主催のゲーフラ&応援ボード自慢大会」 なんてのは
驚きというか、信じられないというか、狸に化かされているというか、
そんな気持ちでいっぱいです。

当日ウマウマと様子を見に行ったら
「球団がそんなイベントやる訳ねーだろバーカ! そうだ明日から新聞紙サイズな!」
とか言われるんじゃないかと、ちょっとドキドキしてます。

ないよね!?



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No title

今では「中島君」は出欠確認になっております^^;
上がっていないとさびしいです…。

まさかのステキな企画です!!!

中島くんが幕からゲーフラに変わったのは9ユニさんの仕業だってところ爆笑。
お二人は良いコンビですよね~!

ゲーフラだと掲げてる人の顔はボードよりも隠れてしまうことが多いです。
だからなおのことテレビからゲーフラを見ることで来てるのが分かったりします。
他の人に貸してないこと前提(笑)

64ユニさんと9ユニさんはお顔が分かるのですが、すなるさんは分からないです。
フェルナンデスのゲーフラを見ると、そうなのかな?と思うんですが。
って、64ユニさんのブログに書いてもしょうないですね(汗)

私も「ゲーフラ&ボード自慢大会」を見たいです。
でも、無理~~~~~~~~(笑)

僕が作ったゲーフラ、正直、出来上がりが汚いですけど、大丈夫ですかね?

一緒に応援してた人には何にも言われなかったけど、
失礼ですかね?
選手にも周りのファンにも…

まぁこの反省を生かして今度はキレイなゲーフラ作ろうと計画しています!

64ユニさん。シビれました~っ!アナタはライオンズバカだ!アッシもライオンズバカだけど、64さんにはかなわねえ~っ!これからも、強かろうが弱かろうが関係なく、ライオンズバカで更新頼んま~~~っすm(__)m

Re: No title

>>えりさん
アレも今年限りかもしれんですからね・・・

Re: まさかのステキな企画です!!!

>>SATONA さん
ご無沙汰してまーす

あっしは結構ゲーフラを貸したりしますからね
あまり目印にならないかもしれんですよ

すなる先生は、永遠の17歳な方です。

Re: タイトルなし

>>よ獅ださん
大丈夫に決まってるじゃないですか!
ゲーフラは完成度じゃなくて、心ですよハート!

そうじゃないとあっしのゲーフラが出せないじゃないですかw

Re: タイトルなし

>>ポテンヒットさん

はい、ライオンズバカでは2段くらいいきます!
がんばり・・ます?
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Author:64ユニ
ライオンズ応援wikiの管理人、64ユニです。

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